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嵐の二宮和也君が大好きな 主婦のひとりごとです。
若者はもっと生意気であれ
2016年01月21日 (木) | 編集 |


「 若者はもっと生意気であれ 」 

山田洋次監督が語る 「 母と暮せば 」


2016.01.20


2015年12月12日に封切りとなり、各所で大きな反響を呼んでいる

映画 「 母と暮せば 」 。

原爆投下から3年後の長崎を舞台に、吉永小百合さんと二宮和也さん

演じる親子の関係を描いたこの作品。

いわゆる 「 戦争もの」 の 映画とは少し違った空気感で、丹念に

戦後3年の 「 生活 」 が描かれた、ファンタジー作品となっています。



「 男はつらいよ 」 シリーズや 「 武士の一分 」 などの名作を

手がけてきた山田洋次監督にとって、初のファンタジー・ジャンルと

なるこの作品、どのような思いで製作にあたったのか。

そして、日常を描き出すことを通じてメッセージを送り届ける

山田監督の手法や、現代の若い世代に向けての言葉まで、

お話を伺いました。



描いたのは 「 突然いなくなってしまう 」 という出来事





- 「 母と暮せば 」 は 「 母と子の物語である 」 と

  語られていますが、吉永小百合さん演じる母親の姿を描く

  上で、特にこだわった点を教えて下さい。



肉親が突然いなくなるとはどういうことかということです。

親子であろうと夫婦だろうと兄弟であろうと、肉親がなんかの

理由で突然いなくなる、死んでしまう。

そんなとき、遺された人は大混乱を起こす。

病気がだんだん悪くなってきて、最後は覚悟してお別れするのと

違って、何の心の準備もしていなくて突然いなくなるということは、

遺された家族にとってどれだけ辛いことか、そこが1番の

ポイントです。



この映画は息子が死んで3年後、このお母さんを描く上で、その3年の

間にどれだけ辛い思いをしたか、ということが想像できなきゃいけない。


- そういった想像はどのように進めたのでしょうか。


参考になったのは野田正彰という人の書いた 「 喪の途上にて 」

という本です。



この本は日航ジャンボ機の事故を取り扱ったもので、この時の事故では

500人近い人たちが突然死んでしまった。

その遺された人たちは一種の精神病になるわけだけれど、心理学者が

その人たちを追跡調査して、その病状がどのように現れるのか、

その病気を治すためにどんな治療が必要かを書いた本です。



特に日航ジャンボ機は平和なときに突然起きてしまったわけだから、

周りの人がどうしていいかわからない。

癒されるべき遺族の気持ちが癒されないということがあったと

言われている。



( 吉永小百合さん演じる母親の ) 伸子が過ごした3年間に

ついて、どんな風に苦しんだのか。

「 息子が死んでしまって悲しい 」 だけじゃなく、その突然の

別れが彼女の精神をどのように蝕んだのかを考えるには、

野田さんの本が非常にヒントになった。

それが大事なことの一つです。

「 突然いなくなってしまった 」 ということが。


- まさにその 「 突然 」 だったのが ・・・



そう、突然人がいなくなってしまったのが、原爆だった。



映画を作り上げた後に学生、高校生にこの映画を見せて

映画の感想を聞く機会があって、驚いたことがあった。

戦後70年間を生きてきた僕たちが、あたりまえのこと

として身につけてきた戦争についての常識がある。

それらの常識は日本人は皆知っているものだと漠然と

思っていた。

でも、実際若い人たちに聞くと、意外と知らない。



それは、70年前の地獄のような戦争について、この国は

いかにちゃんと伝えていないかということだろう。

教科書や様々な伝達手段の中で、伝えていないどころか、

伝えることを意識的にやめてしまっているとさえ

感じることもある。



もうそんな ( 過去の ) ことはいいから、未来のことを

考えよう、というのが今の政治の考え方だけれど、それが

過去のことを振り返らなくてもいいということなら、それは

間違いだろう。

それだと今のドイツなんかは納得しないだろうと思う。



ナチス時代に行った様々な残虐なことで多くの人を苦しめた

ということについて、未来永劫忘れちゃいけないというのが、

今のドイツの考え方だ。



日本人も同じ罪を犯しているわけだから、そのことは教えなきゃ

いけないし、伝えなきゃいけないんだけど、それをちゃんと

やっていないから、若い世代に戦争がしっかり伝わっていない。



日本とアメリカが戦争してどちらが勝ったかと聞かれて答えられない

若者がいるとよく冗談で言われる。

それは戦争が他人事になってしまったという証拠。

70年なんてついこの前のことなのに、まるで遠い昔のように、

よその国のことのように思っている。

これは非常に怖いことだと思う。




山田監督が描く 「 日常 」 と 「 共感 」


- 今回の作品では 「 戦争 」 が前面に出るのではなく、戦後

いくつもあったであろう 「 日常 」 が丹念に描かれている印象を

受けました。



それが僕の作品の作り方であり、そういう形で僕は映画を作っていく

ということなんだろう。

どんな小さな部分にでも、人間が暮らしている中の長い歴史があり、

全人類的な広がりが伝わって来る。宇

宙から地球を見下ろしていれば、人間のことが分かるわけでは

ない気がする。

小さなことを丁寧に見れば、昔のことから未来のことまで、日本人

全体のことが、あるいは人類全体のことが分かる。



例えば、劇中に出てくる原爆投下のシーンもB29側から映したもの

だが、そのように高い空から見下ろすのも、一つの手段だったりする。

今回の作品で、その正反対の形をとってみた。

( 二宮和也さん演じる ) 浩二が最後に見た映像は、多分インク瓶

だった、ということに、何十万の人を殺すことのできる原爆の恐ろしさを

集約できるんじゃないか。


- そういった日常性について、婚約者のことが忘れられないという

   浩二のキャラクターなど、現代の世代が観て共感しやすい要素も、

   そのひとつの効果なのかと思いました。

   「 若者に届ける 」 ことを意図したのでしょうか。




僕が納得したいわけで、誰かを納得させようとおもって作ったわけでない。

本当に、人間はこういう風に考えたりするんだなというのを一所懸命

想像しながら、映画を作っていく。

そして、出来上がったものが結果として僕らに跳ね返ってくる。



もちろん僕らも面白いものは作りたいけれど、面白いものを作るのは

大変なことです。

こうすれば面白くなるというものではなくて、人間とはこうじゃ

ありませんかということ。


- その結果、見ている人がどういう反応をするか、というのも

   受け手の判断次第ということですか?




そう。

例えば、同じものを見てもおかしくて笑っちゃう人もいれば、悲しくて

涙を流す人もいる。

「 そんな悲しいのか 」 と僕は言いたくなる。

つまり、自分の作った料理を美味しく食べてもらえるかどうかと

いうのと同じだ。


- そういえば、今回は初のファンタジー作品ということもあってか、

   笑いと悲しみの切り替わりが非常に印象的でした。

   このようなつくりは狙ってのものなのでしょうか?




それは 「 笑うとは何か 」 っていう面倒くさいことになっていく。

「 なるほど、そうだな 」 と、人間は満足した時に笑う。

もちろんダジャレでも人間は笑うけれども、ダジャレで起きる

笑いは僕が考えている笑いとはちょっと違う。



映画の場合、共感というか身につまされる思いになった時、

人間はちょっと嬉しくなって笑う。

「 本当にそうだね 」 と言って笑い合うというか。

だから、作り手と観客だね。

共感してもらわないとしょうがない。


- 作り手と観客が共感するところに笑いが生まれる、

   ということですか?



その通りです。

( 寄席などで ) 名人がでてきて黙って丁寧にお辞儀すると、

それだけでもう笑いたくなるっていうのかな。

そういうことなんだよ。

その人はきっと、人間について私たちが納得するような話を

してくれるだろうという、そんな想像を仕掛けている。




型破りな人が活躍できる世の中に


- 個人的に、今回の映画で特に印象に残ったのが、

   「 上海のおじさん 」 という登場人物でした。

   彼の楽天的な振るまいとその裏に見え隠れする悲しさに、

   「 長崎の人 」 らしさや特異な空気感を強く感じました。

   この人物は、物語上どのような意味を持っているのでしょうか。



物語を作る上では、登場人物の組み合わせの中で、上海のおじさんの

ような人が必要なんだ。

3人が弦楽器だったら1人は管楽器が入ったほうが良いだろうというような。

伸子と町子と浩二だけでは物語は単調になってしまうから、そういった中に

バランスを破るような音を奏でる人を入れたくなる。



今の世の中は過度にコントロールされている。

秩序がちゃんとあって、乱すってことができなくなっている。

敗戦後というのは、それまでの様々な秩序、たとえば市民生活もそうだし、

政府そのものがごちゃごちゃになっている時代だった。



そういうときには、従来の秩序の中にいない人たち、解放された

自由の人たち、いわば 「 寅さん 」 みたいな人たちが活躍

できる。

だから、混乱した時期には、ああいう人がたくさんいた。

僕自身の少年時代の体験からも思い出すことができる。

行動力があって、肩書きや地位に縛られないような人物が、

ああいう時代には実力を発揮していた。

普通ではまかり通らないようなことを、強引に実現して獲得して

いくみたいな。



上海のおじさんは、混乱した時代に活躍する人物の典型だった。

もっとも、平和になるとそういった人たちはうっとおしくなる。


- そういった世の中の状況は、今と通じるところがあるように思います。

   今後、戦後にいたような型破りな人たちが、今の世の中で

   活躍していくのでしょうか?



そうならなきゃいけない状況だと思っている。

型破りな人たちのことを、みんながちゃんと存在を評価するという

のは大事。

僕たちが若い頃、もっともっと若者が生意気だったし、もっともっと

言いたいことを言っていた。

もっともっと親や役所が言っていたことを片っ端からひっくり

返していた。

それが若者だと思っている。



そういう意味で今の日本人は、おとなしいし、従順な羊のように

なっている。


- 若者よもっと噛み付いてこい、と?


そう。

もっと若者は生意気でいいんだ。

若者は大人しくいうことを聞けっていうのが、今のこの国の政治の

やり方になってしまっている。

どんどん意見を言ってくれ、その意見を聞いて私たちは国を治めて

いくんだ、と今の政治家が考えているとは思えない。

だから若者も大人しくなってしまう。

そういう意味では、SEALDsなんかは希望だ。

それが若者ではないだろうか。


- 最後に今を生きる2-30代へのメッセージをお願いします。


抽象的な言い方になってしまうけれど、世の中を疑ってほしい。

今の新聞や雑誌を通して報道されることには嘘が多い。

そんな嘘を見破ってほしい。

真実とは何かを探る能力を持って欲しいというのかな。



“ 蛇のように疑い、深くあれ ” という言葉の通り、素直にいうことを

聞いちゃだめだっていうことだ。

騙されるな、と。





Okayamaさんという方が書いてます。


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